もし残っていたら

長州顔面蹴撃がなく、前田日明が新日にそのまま残っていたら。

当時の路線でトップになっていただろうか。

三銃士は、決してその後の様にはなっていなかっただろう。

武藤がトップの近くに居て、橋本と蝶野は中堅のトップクラスみたいな感じか。

前田に対してのマシンみたいなポジションかもしれない。

 

流行語大賞

歴代の流行語大賞を見ていくと、その年がどんな時期だったのかおぼろげに見えてくる事も多い。

1984年に、「おしんドローム」というのがある。

おしんと、シンドロームを掛けた造語だろう。

それだけこの年のおしんが与えた影響は強かったという事だ。

1986年は「新人類」だ。清原・工藤・渡辺が対象となっている。

この頃は長州も新人類、という見方をされていた記憶がある。

世相を表す流行語。面白い。

オールディーズ

オールディーズ専門に聴けるライブハウスといえば、ケントス。

未だに六本木を中心に、割と色々な地域に存在しているというのは特筆に値する。

オールディーズファンは根強い、という事か。

銀座、横浜。

岡山、仙台、新潟。

他にも名前を変えて営業継続中の店がいくつかある。

カフェ

カフェと言えばフランス、パリ。

街路に面し、歩道にせり出してテーブルや椅子が置かれている。店内にはカウンターやテーブル席もある。一般的に、立ち飲みとカウンター席が最も安く、次に店内テーブル席となり、テラス席が一番高い(1物3価方式)。店のある場所やメニューによって違いがあるが、テラス席はカウンター席のおよそ2-3倍くらいと考えてよい。給仕は原則としてウェイターで、用を頼みたい時は「ムッシュ」(英語の「ミスター」相当)と呼びかける。

これがパリでの典型的なカフェだ。

テンカラ

テンカラが見直されているという。

テンカラとフライフィッシングの違いはどの様なものか。

「テンカラ」には、リール(ラインを巻いておく道具)がない。
「フライフィッシング」では、竿よりはるかに長いラインを投げるためにそれを収納しておくリールが必要となる。
「フライフィッシング」では、フライ(疑似餌)の精巧さに重点がおかれ、様々なフライを作って持参するが(それが楽しみでもある)、「テンカラ」では毛鉤の精巧さにを重視しない(精巧でなくても釣れる)。
さらに「テンカラ」はおもりも目印(マーカー)も使用しない。

ボンタンアメ

ボンタンアメは、鹿児島県鹿児島市にあるセイカ食品株式会社が製造・販売する飴菓子の一種。キャラメルにも似た食感と、甘さの奥にほんのりと香るボンタンの風味が特徴的。

餅に水飴を練り込みボンタンの果汁(鹿児島・阿久根産のボンタンを使用)を添加した求肥飴で、包み紙にオブラートを使用しているため、包み紙ごと食べられる。近年、使用しているオブラ-トに改良が加えられ、ボンタンアメを口の中に入れても舌先でオブラートの感触は殆ど感じられない。

原型は熊本県の朝鮮飴に手を加えた物で、1926年に発売を開始。原材料のもち米は、佐賀・熊本産の「ひよくもち」を使用している。以来、九州全県を中心に日本全国の駄菓子屋、小売店、食品スーパー、コンビニ、キヨスクなどで売られている。今でも日本全国のダイエー、イオングループ各店、ダイソーなどでも入手できる様だ。

文房具

昔あったもの。

ねり消し。通常の消しゴムのようにこすって紙表面の黒鉛をはがし取るのではなく、上から押し付けるようにして黒鉛を吸着させて消していく。独特の匂いがした。

砂消し。砂を練り込んだ消しゴム。砂が研磨剤となり、インクなどで書いた字や絵を、紙の表面ごと削り取る。

何だか強そうな感じだった。

ミャオ族

ミャオ族(苗族)(miáozú) は、中国の国内に多く居住する民族集団で、同系統の言語を話す人々は、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムなどの山岳地帯に住んでいる。中国では55の少数民族の一つである。

しかし、中国の総人口は12億4000万人(2000年統計)で、漢族(約11億3000万人)が圧倒的多数を占め、少数民族といっても1億1000万人の人口があり、相対的な少数である。ミャオ族の総人口は894万116人に達し、中国の少数民族としては、チワン族(約1617万人)、満州族(1068万人)、回族(981万人)に次ぎ四番目である。居住地域別人口は多い順番に並べると、貴州省(429万9954人)、湖南省(192万1495人)、雲南省(104万3535人)、重慶市(50万2421人)、広西チワン族自治区(46万2956人)、湖北省(21万4266人)、四川省(14万7526)、広東省(12万606人)、海南省(6万1264人)、浙江省(5万3418人)、江蘇省(2万2246人)、福建省(2万2065人)などである。

山間盆地や斜面に集落を営む山地民である。焼畑を営んで陸稲や畑作物を作って移動を繰り返してきた人々と、棚田を巧妙に作って水稲稲作を行う定着した人々がいる。

ジュークボックス

内部に多数(数百から2000枚程度)のレコードを内蔵し、コインを入れる事で音楽を聴く事のできるジュークボックス。

アメリカでロックンロールを聴く、というイメージがジュークボックスに対してあったが、日本でもブームはあった様だ。

日本には戦後に進駐軍が導入したといわれ、1970年代まで飲食業やホテルなどに設置されて全盛期を迎えたといわれている。太東貿易(現タイトー)、レメーヤー&スチュアート社(後のサービスゲームズ。現セガ)、V&V社の3社が最大手として、米国よりジュークボックスを輸入していた。

1960年代には国産化が始まり、1962年にはレメーヤー&スチュアート社(当時の社名は日本娯楽物産)より国産初のジュークボックス「セガ1000」が発売されている。セガ1000は日本で大ヒットし、日本娯楽物産も社名をセガに変更した。しかし1960年代後半ごろよりピンボールやエレメカなどにアミューズメント機器の主役は移り、1967年にはV&V社の社員の中山隼雄(後のセガ社長)が独立して日本初のゲーム機のディストリビューターであるエスコ貿易を設立した他、タイトーやセガもゲーム機のディストリビューションおよび自社開発を行うようになる。

昔の道具

脱穀には、足踏み脱穀機が使われた。

足踏みと言えば、ミシンも足踏みだった。

車の回転を利用して、綿花や繭から糸を紡ぎ出したり、また、紡いだ糸を縒り合わせたりする道具として、糸繰車なんていうものもあったのだ。

ふるいは、粒状のものを入れて、編(あ)み目を通るものと通らないものと振り分ける道具だ。

生活を営む中で、昔は原始的でありながらも力強い道具が沢山あったのだ。